明治18年(1885年)、奥尻島では禁酒が定められていた。
当時、漁業が不振なうえに畑をシカが荒らしたりして、
島の暮らしはとっても苦しかったらしい。
そこで、この苦しい生活をよくするためには、
酒を飲まないで仕事に励むことが大切と、
禁酒規約が制定され、全島民で「禁酒会」を作ったんだそうだ。
それから5年もの間、「禁酒島・奥尻」の名は広く伝わり、
外国にまで知られるほどだったという。